今でも何をどう表現したら良いのかは分からない。
2001年9月11日から、写真家の私の心のどこかで“Guilty”という気持ちが残りつづけた。あの日あの時このNYの地で何も出来なかった、New Yorkerの端くれと思っていた自分に対する無力感。この10年間NYで人々を撮り続けてきた自分が何か出来たのでは?と思う“Guilty”。だからこそ私はこの日この場所に立っていたかった。何かをしたかった。私のやり方で。
私の撮りつづけたNYは素顔のままの表情。日々起こるニュースをとらえるジャーナリストの視点ではないもの。自然でありのままのExpressionに出会った時に切ってきた何千何万の人々や街の姿だった。今、私に出来ることは自分の自然な目で起こっていることを捉え、自然な心で理解すること。私の写真が100万人の人を救う手助けにはならない。しかし、ニュースでは伝えられない何の脚色もないありのままの真の姿を伝えられる。Logicではなく、Gut
Feelingを信じて心からぶつかって出会ってきた人々の素直な表情を通して。私の目が見て心が感じたことを、写真を見る人の心に何かを残して行く事が私の使命
?そんなことを改めて心に刻み込んだ。 |
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